2014年7月12日土曜日

台風が湿気を連れてゆき、久しぶりに気持ちよい乾いた空気と陽射しを感じることができた今日。
ご来店は少なめな感じで、そうだよなあ、せっかく晴れたのだもの、お洗濯もお買い物もお出かけもあるものなあ、などと思うのだけど、昨日は「梅雨だものなあ」、一昨日は「台風だものなあ」などと考えていたよな。

先日「島田さんの本はまだありますか?」とお電話くださったMさんがご来店。
『あしたから出版社』残り3冊のなかから、”島田さんらしい”サインの1冊を選ばれてお買上げ。
2年前の夏に山本善行さんと島田さんのトークイベントを開催した際、そうした場はあまり得意ではないとおっしゃるところを、是非にとおすすめして打ち上げまでお誘いし、島田さんにご紹介したMさん。
文学に支えられて生きているところがある、という印象が、島田さんに通じている気がしていて、どうしても会ってお話してもらいたかった。
翌日、誘っていただいて良かったです、というメールを読んで嬉しかった。

「あの日からもう2年も経ちましたねえ。明日は名古屋でトークイベントがあるし、すぐ近くに来られてるかもしれませんねえ。岐阜はスルーだろうし残念ですねえ。また岐阜に来ていただけるようお願いしておきますねえ」
そんなことをお話ししていた1時間後くらいに、ひょいと店のドアを開けたのは島田さんだった。

一瞬あれっ?と思ってしまったのは、思いがけずタイミングよく登場されたからだけではなく、Tシャツ姿の島田さんを見るのは久しぶりだったからだと気づいた。
営業まわりの途中で立ち寄ってくれる島田さんは、いつも白いYシャツだから。

島田さんに会うといつも、なんだか不思議に照れくさい気持ちになり、少し舞い上がる。
初めて会った日(それは多分2010年9月の「わめぞ」外市に出店した際、古書往来座で店番中、「レンブラントの帽子」の精算をするために来てくださった日だ)から合計しても30日もお会いしたことはないはずだけれど、すごく深く”知られている”ような気持ちになってしまうからだと思う。
島田さんは、ふつう親しくならないと話さないようなプライベートなこと(身辺のことも思いのことも)も、するりと自然に口にされる人で、ついつい自分もするすると、「ほんとうのこと」を話してしまう。
それはとても幸せで楽しい時間なのだけど、ふと冷静になって気恥ずかしく思ってしまう瞬間もやっぱりある。

去年のBOOKDAYとやまに参加した際の打ち上げ以来だとすると、1年ちょっとぶり。
ということはわたしが結構ボロボロだった時期以来で、お互いの近況報告もコンテンツが尽きない。

島田さんのご来店中、数人のお客様がいらっしゃった。(喋り声がうるさいときもあったと思います、ごめんなさい)
取り置きをされていたYさんも来店されたので取り置き本をお渡しすると、「あの、まだありますか?『あしたから出版社』」と思いがけずおっしゃったので、「ええ、ありますよ。なんでしたら島田さんもいらっしゃいますし…」と店の奥をご案内すると、ものすごく驚かれ、動揺される。
確かに、ふつういませんよね、ここに島田さん。
特に告知したわけでもないのにタイミングよく来てくださったラッキーなYさんの本は、せっかくなので献呈署名入りにしていただきました。

※残り1冊となった本には似顔絵を入れていただきましたが、お取り置きの連絡を頂いたため、店頭分は完売となりました。追加注文予定です。

日も暮れてきた頃、一通のメールが届いた。
先日、津市・四天王会館での古本ジャンボリーズ出店の際に取材を受けたライターさんからの原稿だった。
これまでいくつか受けてきた取材はどれも「店」を中心にしたものだったのだけれど、今回は初めて「わたし自身」を中心とした記事になるとのことで、迷いはあったものの、店のためになればとお受けしたものだった。
とてもお話しやすいライターさんで、気づけば2時間も、自分自身のことを話し続けてしまった。
それが数千字の記事として目の前に届いた……その戸惑いといったら。それは嫌悪感に近いものだった。そして激しい後悔が襲ってきた。
動揺しながら、今からでも断ることはできないか、なんて酷いことすら頭をよぎる中、ふと、すぐそこに島田さんがいることに気づいた。
「自分自身のこと」を書き綴った本を出した、島田さんだ。
島田さんにメールのことを話すと、「読みますよ」と言い、打ち出したものを渡すと一読して「いい記事じゃないですか」と言ってくれた。
その言葉で、ようやくきちんと呼吸をすることができ、そして話しているうちに、心がかたまってくるのを感じた。
夏葉社が、島田潤一郎という顔のある出版社であるように、徒然舎もまた、わたしという顔のある古本屋でいよう。
これまでもそうだったのだし、これからもそうでありたい。
それはもちろん諸刃の剣で、アンチを生んだり、嫌な思いを増やすことにもなるだろう。
そのことは、とても怖い。
けれど多分わたしたちはそのようにしか生きられないし、なにより一生そうやって生きて仕事をしていけたら、きっと楽しくて幸せだろう。

閉店も近くなった頃、打ち合わせがあるからと、名古屋に向けて島田さんは出発していった。
またたくさんおしゃべりをしたので、次に会うときは一層、照れてしまうかもしれないけど、ぜひまた岐阜に来てくださいね。
またみんなで、スポーツパルコ屋上で鮎を焼きましょう。

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